最終回:キラキラ系留年危機

(2016年05月29日)


2016年1月31日

女友達の誕生日プレゼントに、無難にSABONのハンドクリームを選ぶ女子大生の気持ち

今日僕は、ちょうどそんな気持ちでニンテンドー3DSを買った。
ただし、これは誰かにあげるわけではない。
あくまで自分自身へのプレゼントである。

今日、ついに最後の期末考査が終わった。
まさか自分が大学4年の後期まで卒業必須単位を引きずる人間になるとは、入学当初は思ってもいなかった。
自業自得ではあるが、この数ヶ月間はまさに地獄の毎日だった。
3月3日の成績発表で単位が1でも足りなければ、「留年」「内定取消」「就活再開」という絶望の3コンボが決まってしまうからである。

非常に孤独な戦いであった。
なぜなら周りの4年生は皆、既に単位を取り終えており、半年前から大学にすら来ていないからである。
一般的に大学のカリキュラムは、どんなに遊んでいても3年の終わるころには卒業に必要な分の単位は取り終えられるようになっている。
しかし事実として、自分は今日まで、毎日大学へ通い続けた。
なぜなら、単位が12も残っていたからだ。
しかも「それほど遊んでもいないのに」だ。

『遊んでいても余裕で』卒業できる大学で、『それほど遊んでいない』自分がまだ単位を残している」

大学4年目にして僕はやっと気付いた。

「ということはつまり自分は純粋に『馬鹿』ということになる…!」
 
今日3DSを買ったのは、そんな憐れな自分へのせめてもの償いの気持ちである。

ただどうして、よりによって3DSなのか。
それは今の僕は、特にこれといって欲しいものが無かったからだ

「何か自分に買ってやりたいのに、買ってやりたいものがない」

この感覚をどう例えればいいのだろうか。
そう、「女友達の誕生日にSABONのハンドクリームを買う女子大生の気持ち」である。

2月23日

人生最後の春休みなのに、一向に気持ちが落ち着かない。
なぜならこれが人生最後の春休みにならない可能性があるからだ。

テスト終了直後は今までにないくらいの手応えがあったが、不安というものは日々増大していくものである。
結果が変わらないことは分かっていても、毎日自己採点を繰り返している自分がいる。
その採点はどんどん厳しくなっていき、無意味に自分で自分を「留年」の方へ向かわせているのだ。

そもそもなぜテスト終了が1月31日で、成績発表が3月3日なのだろうか。
いや、理由はわかるが、それにしても長すぎる。
1ヶ月強もの間、僕は拷問を受け続けているようなものだ。
しかもその1ヶ月間とは、人生で最も楽しいとされている「大学4年の春休み」である。

人は「どうせ考えても変わらないんだし、『卒業モード』で遊んだら?」と言う。
そんなことは分かっている。
分かってはいるが、頭が言うことを聞かないのである。

Instagramを見ると、楽しそうにハワイで遊ぶキラキラ系女子大生らの写真が。
写真の下には「#卒業したくない」と書かれている。

「卒業したくない」

今の自分にこんなに心に突き刺さる言葉は他にない。
こんなに贅沢な悩みはあるだろうか。
しかもこういうキラキラ女子に限って社会に出てもうまくいったりする。

一方僕は、成績発表に怯えながら1人ベッドで3DS。
一体どうしてこうなったんだ。
何が僕をこうさせたのか。
ちょっとくらい単位を分けてくれたっていいじゃないか。

しかしいくら怒っても、自分の結果は変わらない。
自分はただ大人しく3月3日を待つしかないのである。
そんなことは分かっている。

僕は行き場を失った怒りを、キラキラ女子の方へ向けてしまった。

「キラキラ女子を、倒したい…。」
  
 

2月25日

自分が倒すべき「キラキラ女子」とは一体どんな女子大生のことを指すのだろうか。
「小さいペットボトルのevianを飲む女子大生」だとすると、純粋にevianの味が好きな女子大生も巻き添えにしてしまうことになる。
よって必然的に、攻撃対象は「キラキラ女子の中のキラキラ女子」、すなわち「キラキラ女子・オブ・キラキラ女子」ということになる。

では、「キラキラ女子・オブ・キラキラ女子」とはどんな女子大生だろうか。

それは、「大学のミスコンに出る女子大生(※)」である。

ミスコンに出る女子大生は、間違いなくキラキラ女子であり、もはやキラキラを超えて「ギラギラ」と言ってもいいくらい闘争心むき出しの女子だ。
しかもただのキラキラ女子ではなく、「出場した理由は?」という質問に対して「友達に勧められたので…」なんて平気で嘘を付く、「悪いキラキラ女子」でもある。
 
対象の定義は決まった。
問題はその倒し方である。

キラキラ女子には、群れをなす習性が見受けられる。
したがって長期戦には不向きである。
とすると、短期戦で決着を付けるという戦略で間違いないのだが、そのためには効率的に弱点を突かなければならない。

では、キラキラ女子の弱点とは…?

仮説:キラキラ女子は足元が弱点

 
そう、キラキラ女子の弱点とは「足元」である。
なぜなら、キラキラ女子は基本的にヒールを履いているからだ。
ヒールを履いていると、足に疲労が蓄積する。
よってその部分に強烈なスライディング・キックをお見舞いすることによって、理論上一撃でキラキラ女子を倒すことができる。

(※…はじめは「某クッキングスタジオに通う女子大生」にしようと思いましたが、それについて書くと流石に冗談では済まされないことになりそうだったのでやめました。)
 
 

3月3日

卒業が決まった。

驚いたのは、卒業できたという現実に対してではなく、その結果を見て非情にも冷静だった自分に対してである。
先日までは「卒業が決まったらきっと泣いて喜ぶんだろうなあ」なんて想像していたし、事実としてここ1ヶ月は食事はろくに喉を通らず、眠れない日々を過ごしていたほどに緊張していたのだが、結果を見た自分は意外にも妙に落ち着いていた。

いや、これが「ほっとした」という感情なのだろう。
女子大生の気持ちに例えるのなら、「女友達にできた彼氏があまりイケメンではなかったときの安心感」に近い感覚だ。

まあ、何はともあれ、一件落着、ついに自分も社会人ということである。
しかしまだ問題が1つ残っている。

そう、「キラキラ女子」についてである。

よく考えれば、キラキラ女子だからといって、自分の主観で倒すのは良いことではない。
なぜならこの国は法治国家だからである。
キラキラ女子に物理的に勝利できても、社会的には敗北となってしまう。
ではこのやり場のない怒りをどう鎮めればいいのか?

そこで僕は、「自分がキラキラ女子に対して怒っている原因」を突き止めることにした。
 
 

3月5日

この感情の原因についてまず考えられるのは、単純に「キラキラ女子」という、自分から人間的に最も遠く離れた位置に存在するものに対する憧れ、つまり手を伸ばしても届かない対象に対する嫉妬だという仮説だ。
 

仮説1:遠い存在への憧れ(嫉妬)

 
ただでさえ僕のような陰湿な「ジメジメ男子」と「キラキラ女子」は対極にある存在なのに(キラキラ女子が陰湿でないかどうかは割愛)、
それにそれぞれ「留年間際」「卒業確定」という、これまたしても対極の係数を掛け合わせることで、もはや僕のその感情は羨望や嫉妬を超え、純粋な「怒り」へと進化した、という考えである。
 
 

3月10日

もしくは、僕が本当はキラキラ女子のことが好きなのではないか?と考えることもできる。

つまり、『となりのトトロ』のカンタが、いつも意地悪していたサツキのことが本当は好きだったのと同じように、僕も(世の中の大半の他の男性と同じく)本能的にはキラキラ女子のことが好きだということだ。
 

仮説2:本当はキラキラ女子が好き

 
しかしそれを理性的な部分が「いや、お前はそんな男であってはならない」と抑えていて、今までのこの怒りは防衛機制の「反動形成」として発生していた、という仮説だ。
(事実として、上の方でミスコンに出る女子は云々と騒いでいたが、実は去年の文化祭でミスコンの人と写真を撮ってもらっている)

これが正しければ、僕も本当はただ好きな女子に意地悪するピュアな少年だったということになる。
 
 

3月25日

卒業式だった。
この4年間で得られたものが「普通自動車免許」だけ、という悲しい大学生活だったが、「4年で卒業できた」ということには純粋に感動している。
帰りながら「ああもっと遊んでおけば良かったなあ」と普遍的なことを考えていたのだが、そのときにあることに気が付いた。

3つ目の仮説である。
しかもただの仮説ではない。
もしこれが事実だったら、自分のアイデンティティを揺るがすくらいの、それくらいに大きな発見である。

それは、「自分の中にもう1人の自分、しかも男ではない、「女子的な何か」が存在している」、ということだ。
 

仮説4:自分の中に「女子的な何か」が存在

 
「女子的な何か」とは、「女子」ではない。
あくまで女子的な「何か(something)」である。

「自分の中に『女子的な何か』がいて、『彼女』がキラキラ女子に対して嫉妬している」ということだ。

一見とんでもないような発想にも思えるが、冷静に自分の大学生活、いや、自分の反省を分析していくと、そう思えなくもない出来事が浮かんでくる。

例えば、『ウォーキング・デッド』や『スパイダーマン』に興奮する自分もいるが、実はこっそり『Glee』や『フレンズ』を夜な夜な見ながら号泣している自分も確かに存在しており、
ボルダリングをしたり某料理スタジオに通う女子を「ミーハー」と笑う自分がいるのと同時に、ちゃっかりインスタでスタバシェイクシャックをフォローしている自分も存在しており、
高級ブランドのバッグを持つ女子を「見栄っぱりだなあ」と俯瞰的に見ている自分がいる一方、リッツカールトンホテルの7,000円のアフタヌーンティーを(相当頑張って)楽しんでいる自分が同時に存在しているのである。

しかも、なぜ「SABONのクリーム云々」「友だちの彼氏があまりイケメンではなかった云々」と、いちいち例えが女子なのか。

自分でも信じたくはないが、もしかすると本当に自分の中に「女子的な何か」、しかも「卑屈な女子的な何か」が住んでいるのかもしれない。

それを検証するのが、僕の今後の人生の命題なのだろう。

(完)
 
 

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